今が一番若い。湘南で楽しむ100年ライフ後半戦

湘南で暮らす60代が、投資・健康・人生後半戦を本音で語るブログ。海と山を楽しみながら、今がいちばん若いを実践中。

均整の向こう側

完全すぎる幾何学模様は、人間の目をすぐに退屈させる。円、正方形、黄金比。それらは数学的な美しさの極致かもしれないが、現実の物質世界においてあまりにも秩序が勝ちすぎていると、そこから生命感が消え失せる。

古い陶磁器のわずかな歪みや、手作業で削られた木製品に宿る微かな非対称。私たちはそこに引き付けられる。なぜなら、人間の身体そのものが左右非対称であり、自然界のあらゆる造形もまた、完璧な対称を描いていないからだ。完全な対称は冷徹な機械の証明であり、それは時間を経るにつれて劣化するだけの退屈な物体になりやすい。

一方で、わずかな崩れやズレは、そこに「時間」と「手の痕跡」を刻み込む。素材が持つ頑なな抵抗、加工する人間の呼吸、あるいは予測できない偶然の重なり。そうした諸要素が形を歪ませることで、物質は単なる幾何学図形から脱却し、独自の物語をまとい始める。

それは現代のデジタル表現においても同じだ。AIが生成する完璧すぎる映像を見るとき、私たちはその精巧さに舌を巻くが、同時にどうしようもない冷たさを覚える。どれほど滑らかで破綻のない画面であっても、そこには迷いも、揺らぎも、偶然の奇跡も存在しない。AIの出力する映像にすごいとは思うが感動を覚えられないのは、まさに私たちが愛する「不完全な崩れ」の要素が完全に排除されているからだ。

均整の取れた形を理想とするのは、頭脳の機能が求める効率性にすぎない。だが、私たちが実際に深い愛着や心を揺さぶられる瞬間を覚えるのは、常に不完全な歪みである。均整の美しさに出会うとき私たちはただ感嘆するだけで終わるが、微小な崩れや人間的な揺らぎを伴う造形に触れるとき、初めてそこに生々しい温度を感じ取る。

不完全さのなかに、私たちは自分自身と同じ揺らぎを見出す。均整の取れた形より、多少崩れた方がよいと感じる理由は、まさにそこにあるのだろう。

海岸線からみた江の島

不動産の損切りと次の投資へ

抱え続けていた不動産の手仕舞いを始めた。

胸の奥に引っかかっていた小さな棘が、ようやく抜けた感覚がある。評価額の変動や維持費の増加など、先の見えない重圧。それらのストレスから解放されたことの意味は大きい。

現金購入だったので、年末までに残金を回収できる資金の目処が立った。手元に戻る現実は、思考を驚くほどクリアにしてくれる。

損失はもちろんかなり出た。しかし、それは確定した数字に過ぎない。

目を向けるべきは先だ。株式市場は今、ちょうど下落の局面にある。押し目を拾い、次の波に乗る準備を整えるには絶好のタイミングだ。不動産で失った分は、このマーケットのサイクルの中で取り戻せばいい。

含み損を抱えたまま停滞する時間を切り捨て、流動性の高い現金へ戻す。そして調整局面にある市場へ資金を再配分する。理にかなった決定であり、思考の転換だ。

重い荷物を下ろしたあとの足取りは軽い。デスクの上の珈琲を一口飲み、損失金額を冷静に認め、静かに次の投資を始めることができるのだ。

ランチコースのデザート

古いノートPCと生成AIの二面性

手元に一台だけ残されていた古いノートパソコンがある。OSはウィンドウズ10のままで、そのまま放置しておけばいずれサポートの波に呑まれる運命にあった。CPUのスペック要件を満たさないため、正規の手順ではウィンドウズ11への移行が拒まれるモデルだ。

だが、ちょっとしたコマンドラインでServerとしてインストさせるバイパスを試みれば、アップグレードそのものは難しくない。いくつかのチェックを回避し、最新のwin11へと仕立て上げる。OSを入れ替えたあとは、当然ながらセキュリティ対策を施す。

古いハードウェアであっても、適切に延命すれば実用の道具として十分に機能する。古いマシンを蘇らせる作業を終えてふと思うのは、近年の生成AIが持つ二面性についてだ。

生成AIは、まるで原子力と同じである。扱う側の意志やリテラシーによって、どれほど有用な益をもたらすこともあれば、恐ろしい悪用へ転じることもある。

テクノロジーの進化がもたらす光と影は、これほどまでに鮮烈だ。AIがこれほど大規模なセキュリティ上の問題を引き起こすとは、正直なところ予測していなかった。

コードの脆弱性を突く攻撃の自動化や、巧妙なフィッシング詐欺の量産など、悪意のハードルを劇的に下げてしまった側面は否定しようがない。

便利な道具を手に入れるための知恵と、技術の暴走を防ぐためのガードレール。古いPCに新たなOSを叩き込むような手綱の握り方が、今のAI時代には求められているということだろう。

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